宮沢賢治原作の「やまなし」ですが、小学校の国語で習った人も多いのではないでしょうか?
なんと、小学6年の国語の教科書(光村図書)に40年近くも採用されているんですよ。

スポンサーリンク

宮沢賢治「やまなし」について

やまなしは1923年(大正12年)4月8日に『岩手毎日新聞』に掲載された宮沢賢治の短編童話です。
簡単に内容を説明すると、小さな谷川の底に住んでいる2匹の蟹の兄弟が見る世界観を描いたお話です。
短編ながらも二部構成となっており、一部は5月の話、二部は12月の話です。



【楽天ブックスならいつでも送料無料】やまなし [ 宮沢賢治 ]

なお、題名の「やまなし」はこのうち二部目に登場するヤマナシの実を指しています。

ちなみに果物のナシの原種(野生種)がヤマナシです。
実の大きさはナシより小ぶりです。



※出展:Wikipedia
右側が豊水で左がヤマナシです。

[ad#ad-top]

宮沢賢治「やまなし」が不思議な理由

やまなしにはまさに宮沢賢治ワールド満載と言い切ってもほど不思議な世界観が詰まっています。
全体の構成の特徴としては、幻想的な描写が多く根強いファンが非常に多いです。

ただしそれゆえに「やまなし」の本当の内容を解釈するのは非常に難しいと言われています。
もはや、宮沢賢治本人以外は誰もわからないのではないのではないか、というほどです。
国語の先生も「やまなし」の授業の取り扱いには大変苦労しているとか。
ちなみに私の何十年前の小学生のころの記憶をたどると単純に「不思議な話だねぇ」という一言で流されていたような気がします。

「やまなし」の話を全容を理解するのに一番の難所なのが「クラムボン」という生き物。
※2匹の会話から生き物と判断しました。

『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳はねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』

青空文庫から引用。以下も同様。

具体的にはこんな感じで「クラムボン」が登場します。
しかし、何者かの記述は全くありません。
結局正体不明のまま、残念ながら亡くなってしまいます。
と思いきや、その直後で生き返るようなので余計混乱に発車をかけることになります。

『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚あしの中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いいました。
『わからない。』
 魚がまたツウと戻もどって下流のほうへ行きました。
『クラムボンはわらったよ。』
『わらった。』

本当に一瞬で生き返っています。

2部目には「クラムボン」は登場しないため、ある意味置いていかれた状態で話は進んでいきます。
まあ、2部は2部で「イサド」というこれまた謎の表現があるわけですが・・・。

 またお父さんの蟹が出て来ました。
『もうねろねろ。遅おそいぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。』

これですね。「イサド」はどこかの場所っぽいですが・・・。
[ad#ad-1]

宮沢賢治「やまなし」の「クラムボン」についてのそれぞれの解釈

「クラムボン」について調べてみると本当にみなさんいろいろな解釈をしているなぁと感心してしまいました。
例に挙げると以下のとおり。

  • 蟹の兄弟の(既に以前に亡くなっている)母親 ※父親は登場するが、母親が全く登場しないため。
  • 作者宮沢賢治の兄弟
  • 蟹の兄弟が吐いた泡
  • プランクトン
  • 何かの妖精
  • 水面に写った自分達の姿

蟹の兄弟の母親とか、宮沢賢治の家族については登場人物の背景や作者の当時の境遇から推測したんでしょうね。実に深いです。

私の意見としては、最初は「蟹の兄弟が吐いた泡」かな?と思ったのですが、「水面に写った自分達の姿」という答えを見たとき、妙に納得してしまいました。

正解は作者のみ知っていることなのでこれが正解と断定できるものはありません。
ただし、現在3歳になる娘が学校で「やまなし」を習うころにはちゃんとした説明ができるように考えることにします。

あえて独特な表現を使ったのは、読者に想像力を強く働かせたいという宮沢賢治の意図があったのかもしれません。

宮沢賢治作の童話はどの話にも独特の世界観がありますよね。